理学療法士として働き続けられるのか――飽和・高齢化・体力低下、アラフォーPTが出した4つの答え
- 理学療法士の将来性・給与・体力の不安をアラフォーPTが正直に語る
- 「茹でガエル」にならないために実際にやった4つのこと
- 動けない理由が「家族」だった人間の、正直な今の答え
理学療法士として、このまま働き続けられるのか。
この問いを、10年近く頭の片隅に持ち続けています。答えが出たわけではありません。でも、見て見ぬふりをするにはちょっと怖すぎる問いでもある。今日はそれを正直に書いておきます。
意識し始めたのは、5年目の頃だった
理学療法士の養成校が乱立し始めたのは、ちょうど私たちの世代あたりからです。毎年1万人以上が新たに国家資格を取得する状態が続いています。
一方で、日本の人口は減少していく。今は団塊の世代が高齢化しているので需要はある。でも、その世代が少なくなっていけば、医療・介護の需要はどうなるのか。働き口はどうなるのか。5年目に感じた壁と重なるように、そういうことを考え始めました。
職場でも、責任ある立場になれる人は限られています。ポストには限りがある。「このまま現役で働き続けられるのか」という問いは、そのころからずっとそこにあります。
「PTには将来性がない」という話は5年目の頃から耳にしていました。でも、危機感があっても動けなかった。その理由が「家族」だったと気づいたのは、だいぶ後のことです。
「PTには将来性がない」は、一部当たっていると思う
「理学療法士には将来性がない」という意見をよく見かけます。完全に否定できるかというと、正直できません。一部は当たっていると思っています。
理学療法士にはピンキリがあります。研究をガンガンやって、臨床もやって、教育もやってというハイパーな理学療法士を身近に知っています。そういう人は年収1000万を超えています。将来性がないなんて話は、おそらく気にもしていないと思います。
一方で、何も考えずただ歩いているだけ、言われたことしかやらないという人にとっては、人数が増え続ける中で経験年数だけ重なっていくと、職場でお荷物になっていくのは正直当然だと思っています。「将来性がない」というのは、理学療法士という職業ではなく、そういう働き方への警告だと私は解釈しています。
厳しい言い方をすれば、理学療法士になれば誰でも安泰という時代はもう終わっていると思います。
「PTの給与で家族を養えるか」問題
「理学療法士の給与では家族を養えない」という意見も見かけます。これも、一概には言えません。
妻が専業主婦で自分の給与だけで、となるとかなり難しい局面はあると思います。住む場所や生活水準にもよりますが、子供を育て、住宅ローンを払いながら、というのはギリギリのラインだと感じています。自分の給与のリアルはこちらに書いていますが、17年目でも劇的に増えているわけではありません。
ただ、周りを見ていると、子供がいて家を買ってという生活をしているPTは実際にいます。世間が言うほど絶望的ではない。ただし、そのためには若いうちから自己投資をして積み上げていくことが前提だと思っています。何もしなくても給与が上がっていく時代ではないということは、はっきりしています。
「中途半端な自分」という自覚
大学院にも行きました。認定資格も取りました。管理職もやっています。キャリアとしては、それなりに積み上げてきたつもりです。
でも、「研究をガンガンやっている層」かと言われると、そうではない。論文を量産して、教員や指導的立場で生き残っていける自信はない。かといって、何も持っていないわけでもない。
中途半端なポジション、というのが正直なところです。
今の職場ではそれなりに頼りにされています。役割はある。でも、一度この職場から放り出されたら、自分はどこで何ができるのか。それが正直わからない。「働きやすい環境にいるから、自己研鑽をしなくなっている」という感覚が、どこかにあります。
茹でガエル、という言葉が頭をよぎります。
動けない理由は、家族にある
「自分らしい方向性に動き出さないといけない」と思っています。大学院や臨床の経験を通じて、予防の分野に可能性を感じています。でも、大学病院でそれを積極的にやれるかというと、フィールドが違うかもしれない。
わかっている。でも、動けていない。
一番のブレーキは、家族です。子供が生まれたばかりで、環境を変えることは自分だけの話ではありません。帰りが遅くなるかもしれない。給与が下がるかもしれない。新しい職場に慣れるのに体力を使って、家では不機嫌になるかもしれない。それは間違いなく家族に影響します。
転職にはタイミングがあると思っています。特に家庭を持っていると、「今の職場でいいか」という方向に引き戻される力が働く。それは逃げではなく、優先順位の問題だと自分では思っています。ただ、その優先順位を言い訳にしている部分も、正直ゼロではない。
転職サービスを使って外の情報を集めてみたのも、その感覚からでした。転職するかどうかを決めるためではなく、「外から見た自分の立ち位置を知るため」。その結果、「今の職場を続ける」という選択の意味が変わりました。
大丈夫な人・危ない人――後輩を見ていて感じること
17年働いてきて、後輩を見ていると「この子は大丈夫かな」と感じる瞬間があります。
心配になるのは、自分の意見だけを通そうとする人です。権利の主張が強く、協調性が薄い。年齢を重ねると職場で生きづらくなるだろうなと感じます。実際にそういう人は辞めていくことが多い。
ただし、協調性がありすぎても「いい人・使いやすい人」止まりになってしまう。大丈夫だと思うのは、「自分はこうしたい」という芯を持ちながら、失敗を恐れずやってみる気持ちがある人です。この2つが両立している人は、どんな環境でも生き残っていける気がします。
- 今の職場だけにしがみついていない
- 自分のスキルや経験を言語化できる
- 転職市場での自分の価値を把握しようとしている
茹でガエルにならないために、私が実際にやった4つのこと
- 将来性の不安を感じたら、まず情報収集から始める
- 転職するかどうかより「選択肢を持つ」ことが大事
- 家族がいるからこそ、早めに動いておく方がいい
「問いを持ち続けることが大事」——そう言うだけでは何も変わらない。自分が実際にやったことを書いておきます。
①大学院に通った。臨床をやりながらの大学院は正直きつかった。でも、論文を書くことで「なぜこの治療をするのか」を言語化する力がついた。臨床の土台が変わった実感があります。大学院に行くべきか迷っている人へは別記事に書いています。
②認定理学療法士を取った。脊髄障害と臨床教育の2つです。給与は上がりませんでした。でも、専門性を持つことで対外的な立場が変わり、外の世界を知ることができた。「PTである自分」の軸が一本増えた感覚があります。認定を取って変わったことは別記事に詳しく書いています。
③主任になった。13年目のことです。管理職になると「動ける範囲」が変わります。後輩の働き方に直接介入できるし、他職種と対等に話せる場が増えた。臨床一本ではなく、別の価値軸を持てたことが今の自分の土台になっています。
④ブログを始めた。17年目のことです。PTとしての経験を言語化する作業は、自分のキャリアを客観的に見直す機会になっています。収益は正直まだわかりません。でも「書く」という行為が、職場の外に自分の居場所を作る第一歩になっています。
どれが正解かは、まだわかりません。ただ、何もしないよりは確実にマシだと思っています。「このままでいいのか」を感じたとき、問いを持ち続けながら何か一つ動いてみること——それが今の自分の答えです。
同じように「このままでいいのかな」と感じている30〜40代のPTに届けばと思います。
