なぜ急性期を選んだのか――大学病院PT1年目が正直しんどかったこと、全部書く
「急性期はきつい」という話を、就職前から何度も聞いていました。それでも私は、急性期の大学病院を選びました。むしろ、きついと知っていたから選んだ部分があります。
この記事では、なぜ急性期を選んだのか、実際に1年目は何がきつかったのか、そして17年経った今、あの1年目をどう振り返るかを正直に書きます。
なぜ急性期大学病院を選んだのか
就職先を選ぶとき、「楽なところがいい」とは思っていませんでした。理由はいくつかあります。
①20代でできないことが、30代・40代でできるとは思わなかった
若いうちは修行だと思っていました。「忙しくて大変」と言われる職場ほど、経験が積める。多くの症例・場面に揉まれることで、後になって活きてくると思っていたからです。
②リスク管理を若いうちに学びたかった
急性期は全身状態が安定していない患者さんが多く、リスク管理が特に重要とされています。これを若いうちに身につければ、どの職場に行っても応用できる。そう考えていました。
③内情を知っていた安心感
系列病院だったこともあり、実習でも行ったことがあり、ある程度の雰囲気は知っていました。よくわからない場所に飛び込むより、知っているところの方が安心感がありました。
④臨床・教育・研究に力を入れていた
臨床だけに特化した職場より、教育・研究にも力を入れている環境の方が視野が広がると思っていました。学会・症例検討・後輩指導など、臨床以外の経験も積みたかった。
⑤厳しい環境に身を置かないと怠けると思っていた
これは結構大きな理由です。自分から勉強するタイプではなかった。だから、やらざるを得ない環境に入ることで、強制的に成長しようとしていました。
⑥家から通える距離だった
地味ですが、これも重要でした。1年目はとにかく疲れます。通勤距離が長いと、それだけで体力が削られます。実家から通えることは、精神的な余裕にもつながりました。
実際に1年目がきつかったこと
人間関係が一番しんどかった
最初についた指導担当の先輩と、うまくいきませんでした。気分にムラがある方で、疑問を聞いても「なんで?」「どう思うの?」と返ってくる。わからないことがわからない状態で、答えを求めて聞きに行っても、答えは返ってこない。
今振り返れば、自分の態度にも問題があったと思います。でも、その先輩は今も変わらずそのスタイルなので、私だけが悪かったわけでもないとは思っています。当時は他の先輩を頼りながら、なんとか耐えました。
技術的に「自分がやらなくていい」と思っていた
正直に言うと、1年目の頃は「全部先輩がやればいいじゃないか」と思っていた時期がありました。自分がやるより先輩がやった方が、患者さんのためになると本気で思っていたからです。
上司にその本音を話したとき、「患者さんを全員先輩が見ることはできない。あなたが一生懸命やることで良くなることもある」と言われました。今はわかります。でも当時はその感覚がなかなか持てなかった。整形の患者さんから「あの人に変えてほしい」と言われたこともありました。きつかったです。
急性期ならではのきつさ
①回転が早く、書類業務が多い
介入した翌日に退院することは珍しくありません。離床して転院、というパターンが多く、サマリー・計画書・書類業務が臨床と並行して発生します。経験が少ないうちは、これが純粋に時間的にきつい。
②リスク管理を覚えるのが一苦労
教科書通りの症例はいません。教科書の基準に忠実にやっていると、いつまでも起こせない。でも、外れすぎると危険。その「感覚」をつかむまでが、急性期1年目の壁だと思います。全症例を先輩に相談しながらこなしていたので、朝早く来て下調べをするのが当たり前の生活でした。
③患者さんが亡くなることが多い
これは急性期特有のきつさだと思います。自分が何かしたわけでなくても、担当している患者さんが亡くなる。精神的なダメージは、特に若手のうちは小さくありません。慣れる部分もありますが、「慣れた方がいい」とも言い切れない感覚があります。
④やる気のない患者さんへの対応
回復期と違い、急性期はリハビリ目的で入院している方ばかりではありません。やりたくない、という患者さんに対して、動いてもらうよう促すのは話術も経験も必要で、1年目には非常に大変でした。
⑤若くて舐められることがある
急性期に限った話ではありませんが、「この若い子に何ができるの?」という空気は確かにありました。信頼は積み上げるしかないとわかっていても、最初の壁はなかなか高かったです。
1年目を終えて、変わったこと
正直に言うと、劇的に何かが変わった感覚はありませんでした。「1年耐えたから成長した」というより、4月が来たら強制的に2年目になった、という感じでした。ただ、少し調子に乗った部分はあったと思います。
乗り越えた実感がなくても、振り返れば確実に何かが積み上がっていた。それが後から見えてくるのが、1年目というものだったかもしれません。
ちなみに、5年目あたりにまた違う種類の「壁」がありました。それはまた別の記事で書いています。
今の自分から1年目の自分へ
「もっと頑張れ」と言いたい気持ちはあります。でも、当時の自分は当時なりに一生懸命やっていた。だから結局伝えたいのは、「大丈夫だよ、そのままで」ということです。
きつかった経験は、後になって全部意味を持ちます。気分屋の先輩も、言い返せなかった患者さんも、朝早く起きて下調べしていたあの時間も。17年経って、そう思えています。
そのあたりの「このままでいいのか」という感覚は、こちらの記事にも書いています。
急性期の1年目に悩んでいる人、これから就職する人に、この記事が少し届けばと思います。
